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2007.10.0110:44

ミャンマーの反政府デモが軍政に制圧される!中国・インドが欠けた国際圧力と軟禁状態のアウンサン・スーチーさんではミャンマーの政治は動かず!

ミャンマーの反政府デモが軍政に制圧される!中国・インドが欠けた国際圧力と軟禁状態のアウンサン・スーチーさんではミャンマーの政治は動かず!

ミャンマーの軍事政権に対する僧侶と民主運動家、一般国民の反政府デモは完全に鎮圧されそうな雲行きですね。ミャンマー軍事政権は、旧首都ヤンゴンに約二万人の治安維持部隊を繰り出しており、抗議行動については完全制圧宣言を発表しています。実際、1000人以上にのぼると見られる民主運動家や僧侶指導者は、当局に捕縛されて連行されており、膨大な数の民衆をとりまとめてデモができるような求心力が反対運動にはなくなっています。ミャンマーでもっとも高いカリスマ性を持つ民主運動家であるアウンサン・スーチー(62)も、自宅での軟禁状態が続いており民主化を求める民衆を動員できるような可能性はほぼないです。アウンサン・スーチーの自宅に続く道はバリケードで封鎖されており、民主化運動を推進する僧侶・活動家とアウンサン・スーチーが絶対に会わないように厳重な監視体制が敷かれています。

軍事政権に反対する民主化運動のリーダー・アウンサン・スーチーは、ノーベル平和賞を受賞しています。アウンサン・スーチーは、「ビルマ独立の父」といわれるアウンサン将軍の娘であり、非暴力民主化運動の急進的な指導者ですが1989年から軍事政権によって断続的な軟禁状態に置かれ続けています。アウンサン・スーチーは1988年の大規模なデモ(8888民主化運動)を主導して「民主化のための反政府運動」をほぼ成功させていたものの、実際の国政選挙が行われる前に、軍事政権(国家法秩序回復評議会、SLORC)によって1989年7月に自宅に軟禁されました。その時、軍政の指導者によって8888民主化運動に参加した活動家や参加者は徹底的に弾圧されて、数千人以上の死亡者を出しています。そのため、ミャンマーではいくら民意を集めて大規模なデモをしても、軍事力を持つ政権側から力づくで押さえ込まれる恐れが高いわけです。

1990年5月27日に実施された総選挙では、アウンサン・スーチーの率いる国民民主連盟(NLD)が圧倒的多数の票を得て大勝しましたが、軍政側は軍事力を背景にして「政権移譲の拒否」を主張して「民主政治の投票結果」が無視されるという非常事態に陥りました。「合法的な選挙結果」を軍政が無視したわけですから、当然、欧米をはじめとする先進国のメディアと政府から厳しい非難を浴び、NLDに政権を移譲するように迫られました。しかし、軍政は選挙結果も国際社会も無視して、一方的に実効支配で現在まで政権を持ち続けているわけですね。

9月30日に、ミャンマーを訪れたイブラヒム・ガンバリ事務総長特別顧問がアウンサン・スーチーと1時間にわたって会談しましたが、これは軍政側が「アウンサン・スーチーの無事」を国民と国際社会に示すためのデモンストレーションだと見られています。つまり、民主化のリーダーを殺傷するような野蛮な行為はしていないということで、国際社会の圧力や国民の反発を逸らす目的があるわけですが、今回のデモの直接のひきがねは原油価格の値上げでしたから、国民の不満の中心は「日常生活の苦しさ・経済的な貧しさ」にあるのでしょう。そのため、直接的な民主化運動として政治的な熱狂が高まるという急展開も、今のところは想定しにくいといっていいと思います。

ミャンマーに対して強い影響力を持っている国は、アメリカでもイギリスでもロシアでもなく、東南アジアに経済圏を拡大している中国とアジアです。しかし、この中国とアジアは、「ミャンマーの積極的な民主化」にはほとんど関心がなく、「ミャンマーの天然ガスなどエネルギー資源の確保」を最優先しており、軍政が短期的に武力で反政府デモを鎮圧できるのであれば、中国とインドはミャンマーの内政に口出しはしないという構えをとっています。中国・インドが、民主化を促進する国際圧力の輪に加われば、ミャンマーの政治変革は急進する可能性がありますが、ミャンマーをエネルギー資源の利権と見ている感覚がある限りは、なかなかミャンマーの民主的な政体への変更に力を貸すことはないでしょうね。

僕らの世代には国名ミャンマーで首都はヤンゴンと学校で習っていましたが、かつては、国名ビルマで首都はラングーンといっていました。しかし、ミャンマーという呼び名は軍政がつけた名前であることから、欧米先進国の中には正式名称や公的な表記は「ビルマ」で統一すべきという意見もあるようです。また、現在の首都はヤンゴンからネピドーに移されており、軍政はこのネピドーを新行政首都として位置づけ都市開発を促進しているようです。2006年10月10日に、正式に行政首都ネピドーが首都になったということです。

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