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2008.06.1906:02

東国原英夫知事が教育政策で「愛のムチ条例」を提案!愛情と教育効果のある体罰は可能か?

東国原英夫知事が教育政策で「愛のムチ条例」を提案!

18日に、宮崎県の東国原英夫知事が「子どもに対する学校・地域社会での教育方法」として、「『愛のムチ条例』や、『愛げんこつ条例』ができないか。検討に値するかもしれない」といった発言をしたそうです。学校教育で体罰が禁止されてから長い期間が経ちましたが、「子どもの規範意識の強化」や「社会的序列(大人・子どもの秩序ある上下関係)の意識化」のために、ある程度の体罰を容認すべきではないかという意見も一部であります。基本的に暴力で相手に物事を教えるという行為には、「性格形成上の副作用」が大きいので余り賛成できませんが、条例で子どもに対する軽度の体罰を容認するというのは難しいでしょうね。

保守反動的に現代の自由主義・個人主義を慨嘆する価値観というのは昔からありますが、「体罰を受けていない子ども」と「体罰を受けてきた子ども」の性格傾向や社会適応などの根拠ある統計的調査というのは殆どありません。

体罰や暴力による指導というのは、「恐怖による古典的条件づけ」に依拠している面があり、「善悪を判断する理性」を培うというよりも「強いもの・上位のものに従順に従う感覚的反射」を身に付けるという側面が大きいのではないでしょうか。規則や規範に反射的に従う国民を量産することには役立つかもしれませんが、自分の頭で物事を考えて判断する国民を育成するためには、「善悪の根拠・他者との共感的関係性」を人間関係の体験と共に教えていくことが必要だと思います。

叱る相手(大人)への尊敬や信頼の感情が無ければ「体罰の教育効果」は望めないので、「叱るときには体罰ありき」ではなくて「信頼関係の上でやむを得ず体罰をすることもある」というレベルであればまだ理解もできます。東国原知事も、「私もそう(げんこつをもらった)でした」「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』ってのができないのかな。非常に難しいですね」と話しているということで、実際にゲンコツやビンタを条例で容認するのは難しいと思います。

しかし、本当に正当な教育的意図のある常識範囲内の軽度の体罰であれば、教師の責任を必要以上に問わないといった配慮はあってもいいかもしれません。毎回毎回、体罰を自分の感情の捌け口として利用するような教師は論外だと思いますが、生徒とのコミュニケーションがしっかり取れていて、信頼関係が成り立っているのであれば、「絶対に許されない間違い・悪事」に対しては軽い体罰が有効なこともあるでしょうね。

その判断は難しいでしょうが、他人(友達)の身体や精神を傷つける行為(いじめ・暴力・脅迫)だったり、法律に違反する行為だったりする場合は、厳しく注意した結果として手が出ることもあるような気がしますが、そういった真剣さや真面目さが生徒に伝わるような資質(人格・信念・生活態度)を持つ教師・親でないと望んでいる教育効果(反省・考え方の変化・問題行動の抑制)が出ないというのが最大の問題でしょうね。

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